当時はたぶんそのことをある程度意識していたはずで、現在でも同じ感じ方を失ってはいない。
たとえば、黒人解放運動のリーダーになることは出来なくとも、東大文学部に入ってノーベル文学賞を獲るであれば、可能性としては
高麗蔘充分あるだろうということだ。何故そんな例になるのかというと、当時から読書が趣味で将来は小説家など文章を扱う仕事に就ければいいなくらいに、漠然とした夢とも呼べない曖昧な空想を抱いていただ。ちなみにノーベル文学賞が政治色の強いものであると知ったのは、だいぶ後年のこととなるが。
森星は隣のクラスの男子で、そのころ小学校の当時から知り合いだった男子と休み時間になれば遊んでいた僕に彼は声を掛けてきた。「ねえ、ろう? 今日一緒に帰らないか。家が近いはずなんだ」
あまりに唐突に話しかけられたものだから少し戸惑い、特に乱れているわけでもないはずの鼓動を抑える間をおいてみてから妙に慇懃[インギン]に答えた。
「君の名前はなんていうの。僕のこ
高麗蔘とは何で知っているわけ?」(今でもそうだが、初対面の人に対しては「僕」と自分のことを呼んでいる)
言い終わった後で、なんとなくバツが悪い気分になった。少し男子相手に動揺している自分が恥ずかしくなり、相手の正面に立ち向かうように顔だけでなく身体ごと向き直った。そして今度は少し後悔した。
「まあ、それは帰りに話すよ。じゃあ君のクラスにホームルームが終わったら行くから」
彼は振り向いて帰ろうとしたが、その時自分でも驚くほどの早さで前へと振りだされようとする相手の腕を掴んだ。半ばこちらとしても突然の動作、予期していた以上に強く手首を握ってしまった気がして、意外に細い腕からすぐに力を緩めた。
「ちょっと待って。名前のことは別にいいけど、帰りの待ち合わせは正門を出たところの横で待っててくれない?」矢継ぎ早[ヤツギバヤ]に、僕からの連絡
高麗蔘事項を確認し終えたばかりのその背中に投げかける、もう一言。
「10分待っててもこなかったら帰るから。……いいよね」
「必ず行くよ、君より早く」